田宮流の由緒
田宮流は、
徳川将軍家にも認められた
美しさと格式を誇る
伝統的な居合道流派です。
田宮流は、
徳川将軍家にも認められた
美しさと格式を誇る
伝統的な居合道流派です。
田宮流居合術の最古の流派は、林崎甚助の直門である田宮平兵衛重正によって開かれた「紀州田宮流」です。
これは、約400年前の天正戦国時代に伝わったもので、現存する古流の居合術のなかでも非常に古い流派の一つです。
田宮流居合術は、その美しさから「美の田宮」「位の田宮」と称えられ、紀州藩の武芸として発展しました。
田宮流は、約400年前に居合の祖とされる林崎甚助重信(はやしざきじんすけしげのぶ)の直門である田宮平兵衛業正(たみやへいべいなりまさ)によって興された流儀で、戦国時代を経て徳川家康公に抱え武術としてもちいられました。
池田輝正公に仕えていた初代田宮長勝は「大阪冬の陣」でめざましい軍功をあげて徳川家康公に讃えられ、後に御三家である紀州藩 藩主徳川頼宣公の家臣になりました。
3代目の田宮長家は、慶安4年(1651)、3代将軍 徳川家光公の要請に従い、田宮流を台覧(たいらん)に供して褒美を賜わり「田宮流」の名を全国に知らしめました。
田宮流は、表之巻十一本(基本業)、虎乱之巻十四本(奥居合)からなっています。
表之巻は、稲妻、押抜、除身、廻り掛(立居合)、胸の刀、柄外、突留、白浪、逃身(立居合)、追立(立居合)、嶺上。
虎乱之巻は、刀合切(立居合)、水鏡(立居合)、もぢり太刀(立居合)、右鉄(立居合)、右鉄(立居合)、富士山(立居合)、松風(立居合)、夜嵐(立居合)、陰転切(立居合)、陽転切(立居合)、月陰の太刀、飛鳥、妙意、村雲。
それぞれの業は、みな上段残心を行います。とくに残心には心を注ぎ、「習い大事」としています。
業の特徴は、大きく、正確に細ということであり、さらにつけ加えるならば「位」と「美」を忘れてはいけないということ。
当流は、江戸時代から「位の田宮」「美の田宮」といわれてきていることからも、これらの要点は大事中の大事としています。
愛媛県西条市長を名誉顧問とする「旧西条藩田宮流居合術保存会」が昭和六十二年十二月九日発足し、同会より「西条市無形文化財指定」を申請、同六十三年九月五日付告示第一号により同市無形文化財に指定されました。
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